【伝馬制】ここでは五か国のうち、遠州浜松地方に関係の深い事項を中心として述べることにする。【伝馬制】交通の面では、天正九年浜松宿に与えた伝馬朱印手形にみられるような伝馬制(『浜松市史史料編一』)を継承して、天正十五年から同十八年にかけて駿府・岡崎間の東海道の各宿駅に家康の伝馬朱印状が多く発せられている。それらのうち、駿府・浜松間の朱印状をつぎに例示してみよう。
「伝馬壱疋、駿府はま松迄、上下無相違可出者也、以如件
天正十八寅年二月四日
右宿中 」
(中村孝也『徳川家康文書の研究』上)
これらの伝馬朱印状から、駿府政庁の政務が東海道筋に繁多であったことが推察される。