禁制の下付

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 家康が領国経営に専念していた天正十七年(一五八九)、秀吉は小田原城攻略戦をはじめた。秀吉の命令をうけて諸国から多くの軍勢が小田原を目指して集まった。秀吉(家康も同文のものを出している)はそれらの軍勢出発にあたり、禁制を出したのであるが、浜松地方に伝存する一例をつぎに紹介してみよう。
 
「  禁制
 一軍勢甲乙人等、乱妨狼藉事、
 一放火事、
 一対地下人百姓、非分之儀申懸事、
 右条々、若於違犯之輩者、忽可被処罪科者也、
   天正十八年正月 日 ○(豊臣秀吉朱印) 」
       (「頭陀寺文書」『浜松市史史料編三』)