天正十八年二月、家康は秀吉の先鋒として領国の兵を集めて駿府を出発することになった。この時、家康は秀吉の出した十三か条の軍令にならって、つぎのような十五か条の軍令を諸将に与えている。
「 軍法事
一 御朱印御諚之旨、於違背申輩者、其身の事ハ不及沙汰、妻子共ニ罪過ニをこなふへき事、
一 喧嘩口論堅令停止畢、然上及闘諍者、不論理非、左右方共ニ可令成敗、或傍輩或知音の好を以、令荷担者、其科不軽条、其主人として急度可致成敗、若令用捨、不加成敗者、縦後日ニ聞出といふ共、背禁法の上は、令闕負者の知行を可没収事、
一 無下知而、先手を、さしをき、物ミをつかはす儀可為曲事、
一 先手をさしこゑ、高名せしむといふ共、軍法をそむくの上は、妻子以下まて可成敗事、
一 無子細而、他の備へ相交輩在之者、武具馬共ニ可取之、主人及異儀者、共以可為曲事、但用所あるにをひてハ、うちのけて可通事、
一 人数押之時、わき道すへからさるよし、堅可申付之、若みたりに通るにをひてハ、其物主可為曲事、
一 諸事奉行人差図をそむかは、是又可為曲事、
一 為時之使差遣人申旨、いさゝかも違背すへからさる事、
一 小荷駄押事、兼而相触の上ハ、軍務に不相交様に、堅可申付之、若みたりに相交者、其者を可成敗事
一 於陣取、馬を被放者、可為曲事、
一 無下知而、男女不可乱取、若取之、陣屋ニ隠置者、其物主可相改之、他より聞出、令闕落者、主人知行を可没収事、
付、敵地家、無下知而、先手者不可放火之、
一 無下知而、不可陣払之事、
一 人数押之時、小旗・鉄炮・弓・鑓、次第を定、奉行を相添可押之、みたりにをさは可為曲事、
一 持鑓ハ、軍役の外たるの間、長柄をさしをき不可令持之、但長柄の外令持之者、主人馬廻ニ、一丁たるへき事、
一 諸商買押買狼藉令禁止畢、若於違背之族者、可処厳科事、
右条々、令違犯者、日本国中大小神祇照覧、無用捨可加成敗者也、仍如件、
天正十八年
二月吉日 花押(家康)
鳥居彦右衛門尉殿 」
(中村孝也『徳川家康文書の研究』上)