家康の協力

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 秀吉は軍略上、東海道の諸城を借りたい旨を家康に申しいれてきたが、家康はこれに同意し早速その準備のため本多作左衛門重次と本多佐渡守正信に命じて諸城を検閲し豊臣方の諸将に引渡すとともに、諸軍の通過に便宜を与えている。これら引渡された諸城には浜松城も入っていたことは当然である。秀吉の通過に際してはとくに意をもちい、宿場ごとに茶亭を設備する等細心の注意をはらっている。秀吉は三月に京都を出発し、十三日ごろ浜松に着き四月六日には相模の早雲寺の本拠に到着している。
 当時の東海道筋が諸国の兵で充満し兵馬の徴発、兵糧米の徴集輸送など、大きな影響をうけていたことは、前掲の史料からも考えられる。