地勢

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 【作左谷 鹿谷 池川谷】さらにくわしく述べると、城地のすぐ北側は作左(さくざ)谷(作左深谷または深谷ともいう)・鹿谷(しかたに)・池川谷(いけがわだに)にのぞむ。いずれも天竜川の沖積平野が河岸段丘に湾入したもので、作左谷と鹿谷とをへだてるのが明光寺山(みょうこうじやま)で、その北に明光寺山と亀井山とのあいだの谷が鹿谷、亀井山の北がわが池川谷である。【常寒山】また東側から南方へかけて沖積平野に形成された浜松市街の甍(いらか)がならび、南側は河岸段丘が低くのびて常寒山(とこさむやま)(五社神社諏訪神社がある)の山つづきとなり、北をのぞむと三方原台地がつらなる、いわゆる「所堅固」の平山城(ひらやまじろ)であった。

明治二十三年浜松城地勢図


浜松城略絵図(安政年間)


現在の浜松城(昭和三十三年再建)