本丸

66 ~ 67 / 686ページ
 本丸 天守曲輪の東どなりに、これより一段と低く空濠(からぼり)(現在は埋め立てられ、空濠の小字名が残る)をへだてて位置している。【地積】地積は八反七畝三歩(「明治六年浜松城払下告示」の本丸跡地積による)である(小字名千畳敷。面積も縮小されて浜松城公園の一部となる)。【鉄門】周囲を石垣でかこみ、南面する正門を鉄門とよぶ。鉄のごとく堅固という意味であろう。【富士見櫓 菱櫓】富士見櫓(ふじみやぐら)を北に、東南の隅には二層の菱櫓(ひしやぐら)を置き、鉄門の西の石垣には多聞(たもん)が設けられていた。この付近は天守曲輪へもっとも近く堅固な構えが必要だったためだろう。多聞には太鼓櫓があったらしい(「浜松御城下細見絵図」)。しかし、本丸内の建造物についても明らかでなく、当時の城絵図をみても天守曲輪と同じように何も記載されていない。本丸と天守曲輪との連絡路は、二重の石垣に添った急な石段で、南からのぼりきるとすぐ左が天守門となる。このあたり石垣も七メートルにおよんで、もっとも高い。
 二の丸へは東の裏門によって通ずる。