城内侍屋敷 三の丸と馬屋の南方一帯が侍屋敷であった(第三章第二節参照)。
このうち馬屋の南の一屋敷は、そのころは空地で樹木屋敷とよび「古御城ト申伝候」と注記がある。すでに青山氏時代(一六七八―一七〇二)にこのような伝承があったとみえる。しかし、これを裏づける資料はみあたらない。
なお「御家中配列図」をみると、諏訪大明神(現在市民会館)の前に諏訪大祝杉浦信濃の屋敷があったが、その南隣に三十間四方の空地があり「御蔵屋敷と申伝候」と注記がある。この御蔵についてはわからない。
城内侍屋敷