つぎに石垣について述べる。
その主なところは天守台・天守曲輪・本丸と清水・西端城の両曲輪をかこむ石垣で、そのほかに二の丸・外濠などがある。
天守台の石垣 高さ三間(五・五メートル)、八幡台で四間に近い。
天守曲輪と本丸の石垣 この二つの曲輪をかこむ石垣は互に連絡して環状をなし、総延長は約三百十八間におよび、北廻りの低所で二間、南廻りの高所で五間に達する。また天守曲輪と本丸との境は二重の石垣となっていた。本丸側は高さ五間・延長二十八間で、この石垣の上に天守曲輪へ登る道があり、この道よりさらに二間高く天守曲輪の石垣がある(現在は本丸よりの新しい道もできている)。
西端(にしは)城・清水の両曲輪の石垣 この石垣は本丸前の広場までのびている。天守曲輪や本丸ほど石垣はけわしくない。
二の丸の石垣 前者よりまた低い。
また外濠にも石垣があった。
【石組】いずれも野ヅラ積といって自然石を上下に組み合わせて積みあげたもので、表面に石の隙間もあるが、裏込めには細礫を用いてあるので、外観は粗雑で一見崩れやすいようにみえるが、三百年の風雪にたえ、天守台および本丸の一部は多少損われているけれども、その面影をいまも残している。
とくに天守台と天守門付近の石組は堅固で、用石も大きい。【勾配】突角部の石積みには長方形の石材を小口と側面が交互になるように配したいわゆる算木積を用い、石垣の斜面は直線的で57度ないし78度の勾配を持っている(挿画参照)。石垣の傾斜角は前頁の表のとおりである(向坂鋼二氏調査)。
また天守台の平面上にみられる石垣の線は、すこし内側に湾曲して、ゆるい弧線をえがいている。
【石材】使用の石材は、緑泥片岩(りょくでいへいがん)が若干混っているが大部分はこの地方の大草山(おおくさやま)・根本山(ねもとやま)から浜名湖西岸の知波田方面(『浜松市史一』)に産する質の緻密な珪岩である。おそらくこの方面から運搬したのであろう。