【井戸】水の手 井戸は天守台の穴蔵に一(口径一・三メートル、丸石をもってかこむ)、天守曲輪の埋門脇に一(現在深さ七メートルあまり)、本丸に一、二の丸に三(「安政絵図」)あったことはわかっている。また作左曲輪には四つあったという(『浜松御在城記』)。このほか清水の湧出する清水場が清水曲輪に二か所あった。
馬冷池については前に述べた。
この池の付近から流れ出た溝川は、馬屋の南をめぐり大手筋の城内侍屋敷を横断して、東外濠にそそいでいた。【筋違橋】大手筋にはそのため筋違橋という橋があった。名のとおり両岸に対し斜めに渡した橋で、斜めにしたのは防備のためだという。
【新川】なお外濠の水は二つの細流となって、一つは下垂町・池町・田町(いずれも低湿地)方面へ、他は神明町(しんめいちょう)の神明坂下から肴町大安寺坂下方面へ流れ、いずれも新川にそそいでいた。新川はその下流で浜松宿の東境を流れる馬込川に合流し、遠州灘にそそいでいる。