家康の浜松移城

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 元亀元年(一五七〇)七月に、家康は秋葉山叶坊光播を使者として上杉輝虎に浜松城図を贈って好を通じたという(『武徳編年集成』)。家康の浜松移城は元亀元年六月(『当代記』)だから、七月には浜松城の主要な部分はできていたのだろう(前述)。しかし築城の経過などについては不明の点が多い。普請奉行は『寛永諸家系図伝』には倉橋宗三郎とあり、『寛政重修諸家譜』は木原吉次が惣奉行だったともいい、小川家次とも伝えられている(高柳光寿『三方原之戦』)。