廃城後の浜松城

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 明治十三年八月に、内田周平(遠湖)は浜松城趾に遊び『浜松城墟記』を記している。それには、明治初年には「徳川氏臣属来住。城郭日就㆓頽圮㆒。不㆔復加㆓修理㆒荒烟篭㆑濠。蔓草蒙㆑堞。四顧凄凉。仰望㆓天主台㆒。隠見於老樹蒼烟之間㆒其下林藪。為㆓蛇蝎之窟宅㆒」であったが、まもなく「迨㆓廃㆑藩命下県官来治㆒。填㆓其濠㆒。毀㆓其堞㆑伐㆑樹夷㆑藪。」明治六年には城を毀った。この年(明治十三年)城趾に来てみると「天主台已為㆓士女遊観之場㆒。結㆓凉榭㆒。売㆓茶菓㆒。余乃倚㆑欄而坐。南眺㆓滄海㆒。畳波湧㆑銀。東望㆓曠野㆒。連疇漲㆑緑」とし「則又不㆑能㆑無㆓深慨㆒」と述べている。