城地内に町ができる

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 【元城町 松城町】明治十五年には、民家も増したので、城地内の小字城内・元目・下馬場・年行事を統合して大字元城(のち元城町)を、また馬冷・作左・袋町をあわせて大字松城(のち松城町)と名づけた。この元城に東照宮の建立されたのが(古城趾)明治十九年、つづいて翌二十年には幼稚園(のちの浜松元城幼稚園)、二十七年鍛冶町にあった齢松寺が千畳敷(旧本丸、士族に払下げとなっていた)に移り、浜松町立浜松商業学校(現静岡県立浜松商業高等学校の前身)が同寺を仮校舎として開校、三十七年には馬冷に浜松町立浜松高等女学校の校舎が新築されている(大正十五年発行『浜松市史』)。また天守台には一私人の経営になる有料の展望台(大正十五年発行『浜松市史』昭和七年版『浜松郷土読本』)が設けられた。【浜松城の再建】現在の再建浜松城は昭和三十二年(一九五七)に浜松市民の有志によって結成された「浜松城再建期成同盟会」によって翌三十三年四月天守台跡に竣工された。その一階と二階は浜松市立郷土博物館となり、三階は展望台となって、いつも見学する者の絶えるときがない。