⑥後道地区(うしろみち) 九十一軒。名残地域についで家数が多いのは、町組という組屋敷(十軒が一組)が二組と普通の組屋敷(二十軒が一組)が一組とあわせて三組が上後道(うわうしろみち)・中後道(なかうしろみち)方面に多かったからである。【牢屋】町組についてはわからないが、ここには成子番所の番役人・辻番・手代(二軒)・宗旨改手代(二軒)・道手代(二軒)・山手代などが住んでおり、平田町(なめだ)の近くには十五間四方の牢舎(牢屋)が設けられていてその番宅があった。城郭の東南部にあたるこの地区は愛宕下地区とともに東海道往還筋を東西からはさむように位置していた。