武家屋敷の戸数

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 以上、七地域の家数は合わせると五百四十一戸となる。【浜松の推定戸数】絵図は元禄期のものと推量されるので、仮りに当時(元禄十六年)の町家数千三百八十六軒(「糀屋記録」『浜松市史史料編一』)を加えると当時の浜松の総軒数は千九百二十七軒となる。この数は当時の浜松の戸数を示してほぼ誤りがなかろうと信ぜられる。
 そこで、これによってみると浜松の武家屋敷数は浜松の総軒数の二八%にあたり、また町屋敷数の三九%となる。武家屋敷の比率が比較的すくないのは浜松が城下町というだけでなく宿場町という面を持っていたためであろう。