伝馬役二町方

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 【伝馬数】その後、海道筋の交通量増加にともない、元和二年(一六一六)には伝馬数は七十五疋に増され、寛永八年(一六三一)には問屋役も二人となって上下月番で勤めるようになった。さらに、寛永十五年に伝馬数が百疋と定められたが、この時の増加分二十五疋は塩町が負担したので、塩町も伝馬役町になり、以後伝馬町・塩町を伝馬役二町(丁)方と呼んだ。