宗安寺と太田青山氏

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 浜松城主青山家の日記『仰青録』の延宝九年の条につぎのような記事がある。―浜松の高町という侍町の中に、浜松城主太田資次の時分に宗安寺という父太田資宗の「菩提所」があった。資次大坂へ転封の際に宗安寺もこれに従って移った。浜松入封の青山宗俊は宗安寺の跡に家臣を住ませた。宗俊の死後、城主忠雄の代に、太田氏にならって宗安寺を宗俊の「位牌所」に取り立て宗俊が生前ねんごろにしていた寺僧一人を頼み宗安寺につとめさせた―この日記によると、忠雄は貞享二年(浜松在城中)「高町お寺」(宗安寺)に三回程参詣し斎米を納めている。

慶長六年浜松伝馬朱印状(東大史料編纂所蔵)