浜松宿役町の財政状態の推移を概観すれば、寛永十年代に宿馬退転の形で「困窮」が始まり、その後、万治・寛文・延宝年間には困窮はなはだしく、幕府や藩から米・金銭などを拝借拝領することによって宿駅の維持運営をはかっていた。ところで、このような宿駅に対する助成は誰からどのように行なわれたものであろうか。【幕府 藩】幕府は、たとえば寛永十九年のように、当初のあいだは主として中泉代官に助成の事務(金品の引渡しや返済)を担当させていたが、寛文のころからはこれを浜松藩に行なわせることが多くなった。
天領の舞坂宿でも困窮いちじるしかったが、同宿の本陣覚書「往古より御拝借金銭米之覚」によると、舞坂宿では、寛永十九年(一六四二)・同二十年の宿助成拝借金の一部を「浜松御蔵」へ返納し、また正保三年には「浜松御蔵」から御継飛脚の「御褒美」を受領している。