交代のはげしい浜松城主

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 前掲の「歴代浜松城主一覧表」からも知られるように、浜松城主は交代がはげしく、封地に定着度の低い譜代大名の典型であった。とくに寛永十年代・寛文延宝期・元禄期を画期とする幕藩体制の確立期には、幕府は譜代大名を創出し育成することにつとめ、そのためにも諸大名の改易・転封がしきりに行なわれ、当時の浜松城主たちもそうした渦中におかれていたのである。【封建官僚】総じて譜代大名は、将軍家とのゆかりが深く、幕府の職制整備にともなって城主である反面に幕府の役職に就退任するところの封建官僚の性格を強めるにいたったが、この点も浜松城主に顕著である。江戸幕府開設以後、幕藩体制確立期における浜松城主の経歴のあらましを、『寛政重修諸家譜』・『徳川実紀』・『藩翰譜』などによって順次に述べることとする。