太田資次

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 【浜松襲封】太田資次は、資宗の嫡男として、幼少の時から家光に近侍、寛文十一年父のあとをついで浜松城主となる(浜松藩主の父子襲封のはじめ)。延宝元年奏者番となり、同四年寺社奉行、同六年大坂城代に転じた。寛文のころには幕政機構の整備が一段と進み、要職の京都所司代・大坂城代は譜代大名の兼職にとどまらず、これに就退任することがそのまま大名の転封を意味する場合も生ずるようになり、浜松藩主太田資次と大坂城代青山宗俊の入れ替りにはそうした背景があったのである。