検地の問題点

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 【名請人】近世初期の検地の問題点の一つとして検地帳登録人(名請人)の性格がとりあげられ、具体的には名請地の規模・分付(ぶんづけ)百姓・屋敷持農民と無屋敷農民の問題として論議されている。このうち、屋敷の問題について考察を進めてみよう。【屋敷と農民】近世初期の領主たちは夫役(ぶやく)を課する際に屋敷(軒別)を基準として屋敷持農民を重視しその掌握につとめた。屋敷持長民は田畑の有力な名請人でもあったが、田畑の名請人で無屋敷のものが多かったと一般にいわれている。右表の村々の場合、とくに慶長期には無屋敷の田畑名請人が多いことが注目されるのであり、このことは当時の当地方に広くみられた現象と思われる。この無屋敷農民の実態としては、他村居住農民の入作請作・主家の部屋住み隷属農民・屋敷持農民と同一世帯の家族(二男・三男など)などが特別にかけられる夫役を免れるための作為によるものを考えることができるが、それ以上に的確なことは史料不足のためにわからない。【大崎村の屋敷水張】大崎村の屋敷については、「屋敷水帳」として一括され、屋敷の規模が大きく、全筆が「壱反四畝七歩 弥七作」の如く誰作と記載されている点が特色である。【宇志村検地張】宇志村検地帳の「屋敷方」の記載形式は、たとえば「九畝九歩 彦作分彦作居」「弐畝拾壱歩 彦作分七郎右衛門居」のようで、六人の屋敷分付主が上表のように三十四の屋敷を保有していた点に特色がみられる。
 右の場合、分付屋敷農民は分付主の田畑の分付百姓となっていること、つまり田畑と屋敷とを一体とした分付関係が多いことが注目される。
 
屋敷分付主名持屋敷数分付主の居屋敷規模屋敷数合計
四郎右衛門111反0畝16歩 
四郎兵衛8100 
彦作699 
三郎右衛門51410 
六郎二郎3425 
助左衛門1なし 
345 40(分付主でない屋敷持1人を含む)