検地帳名請人

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 つぎに、検地帳登録人について若干の問題を提示してみよう。検地帳名請人は一地一作人をたてまえとしたが、分村記載や連名記載も行なわれた。【北嶋村】北嶋村の場合は上表にみられるように、慶長十六年に比して承応三年には分付(ぶんづけ)主と屋敷分付を含む分付百姓が増加しているのが注目される。
 
北嶋村検地帳記載形式慶長16年名請人数承応3年名請人数
分付主としてのみ現われた者 1
分付主で主作地をもつ者36
他人の分付で主作地をもつ者34
分付としてのみ現われた者19
分付主で主作地をもち,かつ他人の分付である者1 
2名の名請で相互の関係不明の者 3
主作地のみをもつ者2422
合計3245
(三浦俊明「浜松藩領域の形成と宿駅助成金」『地方史料研究第98号』)

 【下飯田村】つぎに明暦(めいれき)二年の下飯田村(本田検地)の場合、分付筆数百十六の分付主は五名でその内訳は上表のとおりである。
 
下飯田村分付主名筆数分付主の特色分付百姓数とその特色
善太41主作地なし3人与平次-善太屋敷の分体農民
屋敷なし与兵衛-〃〃
 小平次
岩藤29主作地なし2人十兵衛
 十太夫
十太夫12主作地もあり1人清三郎
五太夫9主作地もあり1人権兵衛
五郎左衛門25主作地もあり1人二郎左衛門
116 8人