新田の高入

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 浜松地方で開発された新田を領主が石高に算入する(高ニ入ルという)事例として早い時期のものに、元和(げんな)三年(一六一七)浜松藩主水野重仲の知行目録と元和五年天竜川西の天領があるので、これをつぎに表示しよう。なお、これよりさき慶長十五年の水野重仲知行目録にただ一つの例として「屋くし新田」高六十六石余とみえている。

飯田新田切起手形(浜松市龍光町 伊藤真一氏蔵)