浜松藩の新田開発

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 その後新田開発の進行にともない、新田検地が励行されたことは前に述べた。ところで、浜松藩の新田開発は城主の高力・太田時代(寛永―延宝)に促進されている。【用水】入封直後に新田改めを行なった高力忠房は、寛永(かんえい)年間にいたり、領内から「人足」を徴発して用水を作ることによって北嶋村地内にあった東河原新田の開発に着手した(『北嶋村大橋家文書』)。【引水】太田氏は寛文(かんぶん)年間に河川から堰・圦樋によって引水して新田を開いている、すなわち「小池より古川新田ニ見立、新川ヲ領内惣人足を以てふり明け、早出の井せぎつぶれ、中瀬に新せぎをつき、むしな川を井に用い、下ノ瀬ニ新せぎつき、とひといをかけ用水に成し、古川新田に仕立」てたのであった(「高林伊兵衛忠勝自筆一代記」『浜松市史史料編三』)。
 
(表)新田の石高編入
元和3年浜松領知行目録
(『浜松市史史料編四』)
村名本田石高新田石高
三嶋23242
寺脇353 42 
福塚83 31 
中田嶋52 65 
白羽320 30 
鼠野138 4 
大柳272 126 
○河袋305 21 
○吹上80 6 
○敷地39 2 
○新貝40 31 
靏見63 9 
○西大塚46 40 
老間224 5 
本金折318 45 
飯田410 91 
青屋149 8 
天王1124 32 

元和5年天竜川西天領年貢割付状
(「秋鹿文書」『静岡県史料』五)
村名本田石高新田石高
笠井332323
安間152 24 
靏見63 15 
○新貝40 31 
○敷地39 28 
○西大塚46 41 
○河袋305 21 
○吹上80 17 
寺嶋336 117 
横須賀 21 
常光 95