浜松領の成立期

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 【太田氏】浜松藩の新田開発・検地は前節で述べたように、城主太田氏の時代に本格的に推進され、その成果が寛文(かんぶん)四年(一六六四)の印知で確認され、ここに現われた百五十二村三万五千石余が浜松藩領の基本固定的部分となった。これを前ページに掲げる。
 
(表)寛文印知太田備中守領分の村名と石高
郡名村名
長上郡の内欠下・有玉・小池・漆嶋・西崎・中条・横須賀・高畑・美薗・油一色・万斛・笠井・上前嶋・大瀬・天王・上新屋・丸塚・上郷・西塚・将監名・宮竹・植松・永田・原嶋・笹瀬・喜多嶋・薬師・橋羽・竜光・長鶴・青屋・次広・下・渡瀬・別久・名切・塚越・頭陀寺・参野・恩地・本郷・弥十・安松・西郷・小松方・福増上飯田・下飯田・金折・古川・石原・向金折・西・立野・蒲嶋・四本松・江川・下中嶋・下前嶋・富屋敷・清光庵・御給西嶋・鼠野・大柳・八反畑
66か村
(一万五千石余)
敷智郡の内和地・西大山・東大山・須木沢・佐浜・宇布見・西鴨江・片草・富塚・入野・伊場・東鴨江・若林領家・若林・増楽・小沢渡・堤・新橋・法枝・田尻・明神野・浅田・白羽・中田嶋・福塚・寺脇・瓜内・三嶋・三嶋新屋・馬領家・上中嶋・向宿・堀込・佐藤一色・馬込・野口・船越一色・茄子一色・新津・嶋郷・早出・上嶋・一本杉・高林・助信・中沢・下池川・上池川・八幡・寺嶋地・田町・板屋町・新町外塩之口役高ニ入
53か村
(一万三千石余)
豊田郡の内上嶋・中嶋・蠟燭・小嶋・中野・細嶋・一貫地・上神増・下神増・三家・松木嶋新野・中瀬・永嶋・八幡・新堀・高薗・・倉中瀬・本沢・羽鳥・恒武・常光・白鳥・松小池・長命・大見・大明神
27か村
(三千石余)
麁玉郡の内灰木・堀谷・大平
3か村
(百石余)
引佐郡の内上刑部・下刑部・前山
3か村
(千九百石余)