天領を支配するのが代官であり、元禄期の代官の管轄区域は前述の領主分布表から察せられる。【市野氏 惣太夫 浜名代官】近世初期の浜松地方の代官としては、中泉(なかいずみ)村(磐田市)の秋鹿家と市野村(当市市野町)の市野惣太夫家が注目されるが、ここでは後者について述べる。『新訂寛政重修諸家譜』によると、市野氏の先祖は近江の浅井氏の一族で、真久(さねひさ)(惣太夫)の時(永禄年間)から家康に仕え、とくに馬のことにくわしく(『駿府記』に「慶長十六年十月一日、遠江国住人市野、生姜を献ず、すなわち御前に召し……牧馬の談あり、市野馬を知ればなり」と)馬掛りとして活躍し、慶長五年(一六〇〇)遠江の代官となり浜名十郷その他を支配し(『随庵見聞録』に浜名代官「浜名十郷辺ハ慶長五年ハ堀尾殿領浜松分、同六年ノ暮ヨリ市野五郎右衛門殿御代官九年之勤」)、慶長九年には長上郡市野村のうちで十七石余の屋敷地を賜わり、その後家号を市野と改めた。元和二年死去(市野村の宗安寺に葬る)するや、代官職と惣太夫の称号は実次(さねつぐ)・実利(さねとし)・真防(さねあき)とうけつがれた。寛文のころの市野・秋鹿両代官支配地の一端を上表に示そう。
村名 | 石高 | 家数 | 天領(公料) | 浜松領 | 旗本領 | 備考 |
市野 | 894 | 118 | | 代官市野惣太夫 | | 488 | |
笠井新田 | 528 | 62 | 〃 | |
石原 | 228 | 35 | 〃 |
寺嶋 | 381 | 57 | 〃 |
新寺嶋 | 184 | 29 | 〃 |
上石田 | 615 | 94 | 126 | 代官市野惣太夫 | 相給 |
安間新田 | 24 | | | 代官秋鹿内匠 | | | |
木平(貴平) | 470 | 31 | | 〃 |
善地 | 136 | 48 | | 〃 |
浄光 | 96 | 16 | 42 | 代官秋鹿内匠 | 54 | | 相給 |
片草 | 62 | 11 | 26 | (8軒)〃 | 35 | (3軒) | 〃 |
宇布見 | 1084 | | 684 | (97軒)〃 | 400 | (72軒) | 〃 |
神ヶ谷 | 786 | 66 | 144 | 〃 | | | 110,232,200 | 〃旗本3人 |
(「浜松町数村数家数田地高間尺之帳」『浜松市史史料編三』による)