志都呂の松平氏

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 元禄八年から九年にかけて松平半右衛門(忠明)が関所奉行をつとめ、その知行地は役料千石を含めて七千石に達した。【知行地】服部・松平両氏とも今切関所奉行の要職にたずさわり、服部氏は知行地の大窪(大久保)村(当市大久保町)に、松平氏は志都呂村にそれぞれ陣屋を構え、幕末にいたったのである。『元禄高帳』によると服部中は三千七百七十一石(敷智郡二千六百七十一石、長上郡千九十九石)、松平半右衛門は六千二百二十九石(敷智郡)を所有し、また嘉永元年(一八四八)当時の『志都呂領内村々』によると「新所・古見・鷲津・志都呂(しとろ)・大人見(おおびとみ)・下都田・上都田・小林・木舟・木舟新田・打上・寺嶋・寺嶋新田・上石田・笠井新田・貴平・前野・草崎・大当所・家田・岩村・片瀬・大平」の二十三か村が松平氏の所領となっている(貴平町『内藤家文書』)。

大久保代官所跡(浜松市大久保町)


志都呂代官所跡(浜松市志都呂町)


志都呂松平(五井)略系

今切関所奉行
年代関所奉行役屋敷
元和4慶安1服部権太夫志都呂
 服部杢之助志都呂
慶安1承応1服部中志都呂
 佐橋甚兵衛橋本
承応1明暦3佐橋甚兵衛橋本
 三宅半七郎志都呂
明暦3寛文9三宅半七郎志都呂
 土屋忠次郎橋本
寛文9寛文4本多彦八郎志都呂
寛文4延宝6中根平十郎志都呂
延宝6天和3石川又四郎志都呂
天和3元禄8松平主馬之助志都呂
元禄8元禄9松平半右衛門志都呂