組別支配制

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 【支配領域】ところで、高林家四代の忠勝は元禄三年(一六九〇)藩主から代官に任命されたが、その支配領域は「国領組」と限定されていた。このように藩領域を組別に支配する方式がいつ始まったかは明らかでない。前述の藩領六人支配の内容は不明であった。史料の上で組分けの記録として古いものは延宝六年(一六七八)である。【六組支配】すなわち、この年、青山宗俊(むねとし)が藩主として新しく浜松入りをした際「御領分六組之御支配」で下大瀬村は「万斛組」に入った(『下大瀬村年代記』)。
 この記録からこの年以前に六組もしくは組別支配が制度化していたことが推定される。
 【四組支配】延宝七年、藩主青山忠雄が城中に領内庄屋を引見した時、万斛(まんごく)・町(まち)・浜辺(はまべ)・国領(こくりょう)の四組に分かれていたことは前に述べた(『仰青録』)。また延宝八年および元禄七年に浜松宿助郷の村々は万斛・町・浜辺・国領の四組に分けられている(『糀屋記録』)。
 元禄のころの組別支配の状況を『浜松領諸役御高帳』によって表示したのが上表である。
 
(表)代官支配区分一覧(石未満切捨)
代官名熊谷三太夫藤井仙右衛門飯野八兵衛小野四郎右衛門神戸幸右衛門高橋兵蔵
支配地
敷智郡のうち25951232240910127767824043
       
長上郡のうち7531 5040 7290 19862 
豊田郡のうち51 3330 6676 10058 
山名郡のうち3005 3005 
引佐郡のうち21352135 
麁玉郡のうち250 250 
合計村数344450213931237
(新田村18含)
石高10429 9603 9700 10127 9814 9814 
組名万斛国領?浜辺?町?川東?山方(海別)?