【職人頭】諸職人頭は後にも述べるように城下町構成の重要な要素で、城主との接触も村々の庄屋同様に緊密であった。【本陣】寛政十年(一七九八)正月二日、二の丸鉄砲の間で行なわれた年頭祝儀の儀式には、医師一人、本陣四人とともに伝右衛門(大工頭)以下十一人の諸職人頭が列席している。幕末期の例であるが、弘化四年五月若殿様(井上正直)の家督相続御祝儀に諸職人頭(十一人)が登城した。まず弓の間で三本入扇子を献上、終わって新台所で酒席がもうけられたのであるが、ここでは町奉行(高瀬・浅村)のあいさつがあり、そのあと小頭(鹿猪・中山)が宴席の取持ちをした。この時の座席表はつぎのとおりで、当時におけるそれぞれの社会的地位を示唆するものとして注目される。
[座席表]