免の高低

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 浜松藩内においても、下大瀬村では正徳五年から従前十二か年平均にもとづく四ツ九分五厘の定免制となり、これが享保十年には増免されて五ツ一分五厘になった。ついで同十七年には農民の願出により田畑分免(田六ツ五分六厘九毛・畑四ツ四分五厘)となったが、寛保三年からは見分免(検見取)にもどった。
 農民の年貢負担の現実的な軽重は、免の数値上の高低のみによって測定され得るものではないが、免が領主の民政の特質を示唆するものであることはたしかである。大瀬村の免の変遷の大勢は次のページに示した表のとおりで、これによると、藩主青山氏から本庄松平氏の時代にかけて高率になっている。
 
(表)大瀬村・下大瀬村の年貢免(寛文9年以後) (本途田畑免)
年次備考年次備考
慶長183ッ1分朝比奈惣左衛門貞享25ッ6分
元和元33353
237451
5不明城主高力忠房領元禄元46
寛永14248
15不明松平乗寿領445
20548
正保元37太田資宗領643
252村高1097石747
353849
457951
慶安元521049
2511148
3331350
4351451
承応元301552
332村高1209石1659松平資俊領
明暦元29宝永元56
万治元43255
246456
325558
寛文元47658
244759
348正徳元58
452258
548358
649455
7465495以後定免
847享保元同上
951分村以下下大瀬9
1048955石10515増免仰付
114713
延宝元4414515松平信祝領先代通り定免願により
44216
54817田6569
646青山宗俊領畑4450田畑分免
751寛保2同上(10か年)
8423田5705以後見分免
天和元47畑4450
250延享2田5989
351畑4005
貞享元54寛延2同上