寺嶋八幡地の起こりは家康治世の初め、家中へ「馬飼料御手当」としてあたえられたもので、この田地が「糶(せり)合高免」となった。元文より寛保年間までの年貢は免九ツ三分五厘六毛(米)、麦一反につき八斗九升壱合八勺四才であった。城主からの「御下ケ金」を貸し付けた利子と年貢引米・御用捨米とにより田地の相続を仰せ付けられてきた。
江戸中期と推定される寺嶋八幡地の年貢の実態を『糀屋記録』によってつぎに示そう。田地高五百八十六石五升に対する年貢米は五百三十七石余(米千五百三十四俵余)である(免約九ツ二分と算出される)。これに麦年貢千三百四十四俵が加わるのである。【上納者】その上納者は浜松宿の十九か町(地持町)・町の住人七人(地持)・四か村であった。上納の内訳をつぎに表示する。
寺嶋八幡地については、以上にのべた高免の問題の外に、藩主および地持の対地関係についても不明の点が多く、謎の藩領というほかはない。
(表)寺嶋八幡地年貢上納 (単位俵未満切捨)
上納者 | 品目(数量俵) | |
米 | 麦 | |
鍛冶町 | 57 | 57 |
肴町 | 163 | 181 |
神明町 | 57 | 56 |
連尺町 | 75 | 85 |
伝馬町 | 267 | 294 |
紺屋町 | 70 | 49 |
利町 | 17 | 6 |
清水町 | 1 | 1 |
大工町 | 6 | 4 |
本魚町 | 19 | 10 |
旅籠町 | 124 | 126 |
塩町 | 30 | 33 |
平田町 | 6 | 7 |
田町 | 203 | 160 |
板屋町 | 63 | 56 |
新町 | 16 | 14 |
池町 | 28 | 1斗9升余 |
早馬町 | 37 | 3 |
名残町 | 3 | 0 |
寺嶋村 | 166 | 160 |
八幡村 | 29 | 0 |
伊場村 | 9 | 0 |
東鴨江村 | 6 | 0 |
1藤左衛門 | 16 | 2 |
2九郎左衛門 | 5 | 0 |
3次左衛門 | 3 | 0 |
4若杉 | 6 | 5 |
5藤左衛門 | 3 | 1 |
6九郎右衛門 | 2 | 2 |
7半左衛門 | 4 | 0 |
総計 | 1534 | 1344 |