松平資訓

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 【浜松襲封】松平資訓(すけのり)は資俊の養子として享保八年そのあとをついで浜松城主となり、同十四年三河吉田城主に転じた。【七万石】その後奏者番となり、寛延二年には京都所司代・侍従に任ぜられるとともに再び浜松城主七万石(近江国内の飛地を含む)に封ぜられた。