江戸時代の街道は、幕府の利便をおもな目的として開かれたものであるから、幕府の所在地である江戸を中軸として、幕府とつながりの深いところに向かっていた。中でも江戸・京都間の街道はもっとも重要なもので、このあいだには東海道・中山道の二条の街道が開かれていた。しかし中山道は山道であるため平坦地の多い東海道の方が往来が繁く、五十三次の宿場が置かれていた。当時東海道は五街道随一の重要な街道であった。【浜松は中央】浜松は品川から数え第二十九番目にあたり、大津から数えると二十五番目となっていて、海道筋のほぼ中央に位置する宿場町である。