茶壺道中

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 茶壺道中は、山城国宇治の新茶を幕府や御三家が毎年将軍に献上する、その往来を茶壺道中といった。一般に中山道・甲州街道が道中に利用され、東海道を通るのは主として水戸家が多かったのである。この茶壺道中に際して浜松藩主の命で、町人は徒衆の接待をつとめることになっていた。はじめは連尺町の受持ちであったが役町となったので、その後は脇町から出仕するようになった。【浜松泊】この茶壺道中は毎年みられるが、ここに享保十年(一七二五)と同十二年の例をとって、浜松宿泊りの模様を記してみよう(上表)。このように多くの宿舎に分宿しているのである。また享保十一年と同十三年の茶壺の宿は助右衛門家である。なお、茶壺道中のため助人足を出す町も定まっているが、これについては後の町屋の項で述べることにする。
 
  享保10年5月1日同年5月29日
  上りのため宿泊下りのため宿泊
茶壺3釣宿市左衛門宿市左衛門
茶道頭 宿惣兵衛宿惣兵衛
小茶道 宿三郎左衛門宿三郎左衛門
 宿八郎左衛門宿八郎左衛門
路次衆 宿小右衛門宿小右衛門
下役5人宿茂兵衛宿茂兵衛
馬付の茶壺14駄 宿茂左衛門
長持2棹 
  享保12年4月23日同年5月22日
  上りのため宿泊下りのため宿泊
茶壺 宿市左衛門宿市左衛門
茶道頭・小茶道衆 宿八郎左衛門 
小茶道 宿三郎左衛門 
数寄屋方 宿小右衛門 
下役5人宿茂兵衛宿茂兵衛
馬付の茶壺15駄 宿茂左衛門
茶椀長持2棹