朝鮮人賀使

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 朝鮮人賀使は、幕府に慶事があるごとに朝鮮より差し遣わされた使節のことである。この賀使の行列には多数の人馬を要したがこれを天明の例でみると、上馬八十疋・中馬百八十疋、口取など総数二千八十三人で、その人馬は山城・武蔵など沿道十五か国に課せられている。この朝鮮人賀使の通路は、鈴鹿越や七里ノ渡のある東海道を往来することは少なかったようであるが、それでも時折東海道を利用している。【浜松泊】記録によると浜松宿に泊ったのはつぎのようである。
 
 「天和二年(一六八二)下り八月十三日泊、上り九月十九日泊、三使三人 上官四十人 中官三十六人 下官九十八人 五山長老二人 伴僧十人 下六十四人 通詞四十九人
 正徳元年(一七一一)下り十月八日泊、上り十一月二十六日泊
 享保四年(一七一九)下り九月十九日泊、上り十月二十二日泊
 宝暦十四年(一七六四)下り上りとも三月」
 
 【負担金】このときの負担は村にもかかってきた。『都田村年代手鑑』(『浜松市史史料編二』)の宝暦十四年の条に「朝鮮人惣入用高に付、高七百廿八石ニわり、金三両壱分永百廿五文づゝ村高わり壱石目ニ付百四十八文かかり、申(明和元年、一七六四)十二月右差上申候、先納金此年朝鮮人入用大分掛候故御座候」とある。