目次
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第五章 交通・産業経済の発展と町や村の生活
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第二節 交通の発達
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浜松を中心とする街道
琉球人使節
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琉球人使節には二種類がある。一つは朝鮮人賀使の場合と同様に、将軍の襲職など幕府に慶事があるごとに来朝するもので、これを賀慶使という。他は恩謝使といって琉球中山王が将軍の命によって襲封する場合、入朝するものである。一行は七十人から百人程度で本州にはいる。そして中山道・美濃路から東海道を下って江戸へ向かった。【浜松泊】近世中期において浜松に宿泊した琉球人使節は上表のとおりである。この表のほか、寛延元年・明和元年・寛政二年・同八年にも通過している。
(表)浜松宿泊の琉球人使節
年次
下り泊
上り泊
寛文11
7月15日
天和2
3月28日
5月4日
宝永7
11月2日
12月26日
正徳4
11月16日
享保3
閏10月27日
12月11日