目次
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第五章 交通・産業経済の発展と町や村の生活
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第二節 交通の発達
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浜松を中心とする街道
琉球塚
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琉球使節・和蘭使節も、長途の旅に病のため不帰の客となる者もあった。【西見寺】当市平田町(なめだちょう)西見寺には琉球塚と琉球使節の墓がある(西見寺過去帳による)。琉球塚は宝永七年十二月に病死した随臣の塚と伝え、墓は嘉永三年十月に浜松宿で病を得て亡くなった儀衛正のもので、宗源院(当市蜆塚町)の万瑞が墓誌銘を書いている。また掛川市天然寺には寛政十年四月死去した和蘭使節ケイスベルト・ヘンミー(「旅籠町杉浦日記」『浜松市史史料編二』)の墓がある。
琉球使節墓(浜松市平田町 西見寺)