天保期の一里塚

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 天保十四年の状態をしるすとつぎのようである。
 浜松宿から天竜川にいたるまでの東海道筋には一里塚が二か所
【向宿】向宿村地内  南の塚は松、北の塚は榎
【安間新田】安間新田地内  木立は両方とも榎
 浜松宿から舞坂宿までの間に二か所
【篠原】篠原村地内  北側は榎、南側は松
【舞坂】舞坂宿入口  南北とも松
 浜松宿から本坂通り気賀までの間に三か所
【追分】追分村地内  木立は松
 祝田村・大山村地内  左の塚は榎で大山村地内、右の塚には立木がなく、祝田村地内
 気賀村・中下刑部村地内  左の塚は気賀村地内、右の塚は中下刑部村地内にあって、ともに立木は松(『東海道浜松宿大概帳』)
 
(表)西遠地方一里塚表(『静岡県史蹟名勝天然記念物調査報告』による)
 名称日本橋よりの距離
東海道安間一里塚64里安間新田〃借家となる
馬込65里原形なし原形なし
東若林66里東若林7東若林9
篠原67里篠原3916篠原12028
舞坂68里新町2663新町2664
新居69里西町368西町369
白須賀70里元町477宅地となる
姫街道小池一里塚65里小池一里山1952一里山135
追分66里三方原築山現存追分円塚現存
東大山67里三方原大窪現存和地村東大山現存
老ヶ谷68里中川村新谷気賀町老ヶ谷
葭本西69里下気賀9355気賀山田
大谷70里東浜名村東山768都筑北東20丁
三ヶ日71里西浜名村避病舎北西浜名村避病舎
本坂72里西浜名村本坂323新旧道路の中間