立場

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 旅人が街道の上り下りに駕籠をとめ、荷物をおろし、人馬を休める休憩所が宿場と宿場の間にある場合がある。これを立場という。東海道筋の浜松付近には、【天神町 安間】浜松宿から天竜川までの間に立場は二か所で、一つは浜松宿から十九丁へだてた向宿村地内天神町、他は浜松宿から一里十五丁ほどはなれた薬師新田地内安間(当市安間町)にあった。【篠原村】浜松宿から舞坂宿までの間には、篠原村地内に立場が一か所あり、浜松宿から距離は一里十四丁であった。篠原旧立場『鈴木家文書』の記録によると、天明四年(一七八四)に御小休回数上り六十六回、下り八十四回計百四十六回におよび相当の利用数である。これは浜松・舞坂両宿間が二里三十丁と距離が長かったためであろう。同年四月十六日「吉川監物様」が「浜松御本陣梅屋市左衛門御旅宿」のところ「五ツ時鍛冶町浄鏡院出火」のため、避難している。そのような場合にも使用されたのである。本坂通り気賀までには立場はなかった。