今切の渡し

185 ~ 185 / 686ページ
 舞坂宿からは、いわゆる今切渡海で、浜名湖を舟で渡らねばならなかった。【今切関所】渡ったところが新居宿、ここには今切関所(新居関所ともいう)があって、元禄十五年以後は三州吉田城主が幕府の委任をうけて管理し、新居宿の水夫三百六十人が舟数百二十艘をもって渡船に従事していた。そして、そのうちの一部が舞坂宿に常駐して輸送にあたっていたのである。