近世初期の小天竜川は二俣鹿島の下から浜松馬籠へ流通していたが、この川筋は降雨の際洪水で沿岸の村々を苦しめた。これを防ぐために川上で小天竜〆切り工事が行なわれた。いわゆる彦助堤である。【延宝期】この築堤は慶安年間(一六五〇ごろ)に行なわれたが、完成は延宝三年(一六七五)であるとみられる(『浜北村誌資料第二輯』―天竜川沿革考―)。【小天竜の西川と東川 馬込川 安間川】前図のごとく当時の小天竜は途中でさらに東西に分かれているが、これについては西川が馬込川筋で東川が安間川筋であって、西川の土橋(馬込橋)が板橋に改築されたのは承応二年(一六五三)のころであるといわれている。
甲陽軍鑑の天竜川絵図 遠江国風土記伝
正保図牒の天竜川絵図 遠江国風土記伝