船越村の渡船労務組織

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 つぎに船越村の渡船労務組織について述べる。近世後期の船越村の家数はおおむね五十数軒で、そのうちほぼ五十軒が渡船にかかる家とされており、村高は百十石程度であり、農間稼というよりも渡船渡世の村と呼ぶにふさわしく、村側の書上に「小高之村方過半渡船而已ニ而渡世」とみえるのも過言ではあるまい。【渡船勤務】当番の日には、「居番(いばん)」と呼ばれた村内の渡船役人一人が船頭十二人を指揮して昼夜勤務するのが常であった。【舟名敷】その際に、出勤日数の割当は「舟名敷(ふなみょうしき)」の持高に応じて行なわれた。舟名敷は天正の掟にみえる二十四軒を元株として、この渡船場の労働権を株式化したものである。そしてその持高は売買譲渡の対象となり、移動していた。つぎに文久三年(一八六三)の四十七人の舟名敷持高を表示する。
 
(表)文久3年舟名敷割
持高人員
四分一2
一名
一名3
八分一1
七分五厘
十六分一
八分一1
七分五厘
七分五厘3
二分一2
六分一
六分六厘3
廿四分一1
五分
五分11
三分三厘4
十六分一1
四分一
四分一21
八分一3
備考 最高の2名は居番である