御用船

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 そして御用船は六艘あり、そのうち二艘は早船、四艘は往還渡し船となっている。【小番船】このほかに二十二艘の小番船があり、これは十一組に分かれ、一組は二艘ずつであり、渡船役高割合を以って村で造立し、朱印・証文・諸用通行やその他の諸通行は、みなこの小番船が渡すことになっている。【渡船勤務と両村の分担】平日は小番船六艘、渡船役の者十二人が詰めて渡船を行ない、増水の時は二十二艘四十四人が出勤することになっている。大天竜川の方は池田村持で渡船場役人十一人のうちから毎日二人ずつ詰め、十一組のうちから渡船役百八十人が持高に応じて一組から一人ずつ合わせて十一人が昼夜とも勤めた。小天竜川の方は古くから浜松領分の船越村(当市船越町)から役人一人・水主十二人と池田村から役人一人・船役十一人とが出て、一か月のうち隔日に十五日、昼夜渡船場へ詰めて勤めてきた。しかし重い通行がある際には当番も非番もともに出て渡船の役についていたのである。日光門主参向とか公家衆や名代の通行とかいうような重い通行がある時には、小番船二十二艘のほかに高瀬船十一艘が出勤し、さらに定助船九艘・大助船四十五艘、立野村・森下村からは役人足が出て、これを補った。この高瀬船十一艘は池田村で造立し、定助船九艘と大助船四十五艘はつぎに掲げたような御料私領組合村々で造立していた。
 このほかに、とくに日光門主と紀州侯の通行のときに限り、大助手伝人足百七十六が出て荷物船積みあげさげをした。その大助役村十七か村も右の表に記しておいた。その他、莚敷人足というのがあって、茶壺道中の節、渡船場へ莚を敷きよごれぬようにし、夜分に大事な通行があるときは篝焚をして渡船に差しつかえないようにするため篝焚人足というのもあり、それぞれ差し出し村が定っていたのである。
 
(表)天竜川船渡しの大助船役 定助船役・大助役村
大助船役村定助船役村
(25村)(8村)
●中野町●中野町
●国吉●国吉
●新貝●常光
●半場●善地
●鶴見○神増
●西大塚●平松
●的場●掛下
●東大塚●寺谷新田
●長十郎新田大助役村
●老間(17村)
●東村●仁兵衛新田
●茅野新田●金折
●芋瀬●三河嶋
●向新田●古
●西堀●三郎五郎新田
●末嶋●清庵新田
●舗地●北長十郎新田
○内名●権右衛門新田
○江口●白羽
○吹上○浜新田
○金洗●請負新田
○安富●藤木
○掛塚○源兵衛新田
●十郎嶋○立野
●川袋○森本
 ●西大塚
 ●池田村地方
●御料
○私領