宿の根幹表筋町

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 東海道を上ってきて馬込川橋(長二十五間・横三間)を渡ると浜松宿にはいる。そこが新町で板屋町・田町・神明町とつづく。神明町は坂町(神明坂という)で上りきると浜松城の大手門前へ出る。ここで今まで西進してきた道は直角に左折し連尺町・伝馬町・旅籠町・塩町・成子坂町がならぶ。成子坂はむかしは「こたかき岡山の坂路」だったが、「慶長の比ほひこの岡うかちたいらげて、」上り下りの苦しみもなくなった坂である(「曳駒拾遺」『浜松市史史料編四』)。【寛文期十か町】ここで右折して七軒町となる。これは寛文期の宿往還十か町の町並である(「浜松町数村数家数田地高間尺之帳」『浜松市史史料編三』)。当時浜松は通筋町と裏町通の家数合わせて千百十一軒のうち通筋町十町で五百四十五軒でその五割近くを占めている。東海道往還通でもっとも大きいのは町筋三町二十二間、戸数百軒の田町で、もっとも小さいのは一町一間、二十六軒の神明町であった。【元禄期十一か町】それが元禄期には上新町が加わり表筋町十一か町になるのである。