浜松の城には馬込川わたりていれり。城下の賑ひよのつねならず。板屋町・田町・神明町・伝馬町・旅籠町など建続たり。井上河内守の城なり。こゝは薬店多し。書林もみゆ。今までかゝる書林を見ず。義太夫切本江戸絵本ありなど書きて出せり。国分散といへる薬の本家をさかい屋といふ。月水ながしなどいへる札をも出せり。右に五社大明神の宮あり、また諏訪明神道あり。鴨江寺観音道などもあり、石碑の上に二の手もて指さす形を彫りて右のかたに「江戸道」左のかたに「犬居秋葉道」とありしもをかしかりき(中略。本陣の項参照)。四日天気よし。寒さは昨日に劣らず、七軒町・上新町などいふ市を過ぎて鳥井縄手をこえ若林村に入る。道の右に小さき堂あり、二つ堂といふ。むかし奥州秀衡の室、上京の時建立せしといふ薬師阿弥陀あり、「秀平公建立」と札には書けり。左の方に蓮池あり、立場を榎木といふ。【槙木垣】此ほとり槙木多し。野辺の菫の色うるはしく一夜寝にけんむかしおもほゆ。馬郡の立場を過ぎて右に西本徳寺あり。舞坂の宿に僅ばかりの所にして今切のわたしにかゝれり」と述べている。
【伊能忠敬 測量日記】ちなみに伊能忠敬は享和三年三月二十四日遠州海岸(松嶋村より福嶋村・西嶋村・江之嶋村・中田嶋村・白羽村・田尻村・米津村まで)を測量し浜松泊、文化二年(一八〇五)三月十八日入野村又右衛門へ止宿、「佐鳴ケ浦眺望、富士山其の外山々を測る」とその測量日記に記している。