御本陣日記

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 『御本陣日記』(『浜松市史史料編一』)はその一部が抜けているけれども、元和四年(一六一八)から慶安三年(一六五〇)までの当家の記録で、当時の大名などの宿泊の状態をよく知ることができる。これによると、正保四年(一六四七)旅籠町伊藤平左衛門・旅籠町杉浦惣兵衛・伝馬町梅屋(うめや)市左衛門、慶安三年には連尺町佐藤与左衛門の名があらわれている。いずれも「拙宅指合にて」とある。
 参勤交代制が確立したのが寛永十二年(一六三五)であるから、大名の往来が頻繁になるにつれて、このころまでに本陣五軒が成立したのであろう。【梅屋】なお梅屋の先祖は九右衛門といい八幡村の出身で本魚町に居住していたが、「能物被書、何角共ニ御働之能仁」であったので助右衛門の相役にひきたてられた。伝馬町稲津甚太夫家から養子市左衛門をもらい、家を建て本陣宿になったのだという(『旅籠町平右衛門記録』)。【六軒】伝馬町川口次郎兵衛家があらわれて、本陣が六軒になるのは後代である(二一九ページ参照)。