本陣の規模

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 街道筋でこのような本陣が六軒も設けられていたのは東海道では箱根宿と浜松宿のみである。いかに浜松宿が東西交通の要路にあたっていたか知ることができる。本陣の規模は上表のとおりである。
 前に述べた大田南畝の『改元紀行』にはその当時の本陣の様子がよく描写されているのでつぎに引用する。
 
「今宵の宿は本陣にて伊藤平左衛門といふ。上段と思しき所にあげ畳あり。唐紙に金だみ(金泥)して桜を画き、杉戸に牡丹を画けり。壁に書したる唐人の手を見れば『窓臨水曲琴書調、人読花問字句香、王蘭谷』とあり、水曲の字も今日に叶へり、主人けふの寿とて菱餅に蛤そへて出せり。父の翁を木工左衛門といふ。田舎には珍しく書を好みて、宵過ぐる迄来り語る。まめ人(まれ人か)のこゝに来り給ふ毎に我見え奉らぬはなしとて、押小路阿波実茂螂の書き給へるといふ扇とうでて見す。『すずむかや昨日もけふも一昨日もいた井の清水野沢松陰』とあり、垣根ちかく蛙鳴く声など珍らかなり。」
 
 ちょうど三月三日雛の節供で、旅籠町の旅宿にいて蛙の鳴くのが聞けたのである。
 
本陣凡建坪272坪伝馬町(杉浦助右衛門)壱軒
門構玄関付
本陣凡建坪180坪伝馬町(梅屋市左衛門)壱軒
門構玄関付
本陣凡建坪163坪伝馬町(川口次郎兵衛)壱軒
門構玄関付
本陣凡建坪225坪連尺町(佐藤与左衛門)壱軒
門構玄関付
本陣凡建坪163坪旅籠町(杉浦惣兵衛)壱軒
門構玄関付
本陣凡建坪197坪旅籠町(伊藤平左衛門)壱軒
門構玄関付