定助郷と大助郷の指定

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 これによると、助郷は宿常備人馬が不足すれば近在の助郷村が出動し、それでもなお不足の場合は助郷村以外の近郷の村々の出動を規定している。こうして宿の伝馬が百疋と定まったのは翌寛永十五年で、その後元禄七年(一六九四)にいたり東海道往復の人馬の輻湊により定助郷・大助郷の制ができた。これは助郷制の確立を意味するもので、浜松宿では定助十六か村役馬百二十七疋村高五千九十八石、大助四十四か村高一万五千六百六十六石、合計助郷高二万七百六十四石六十か村であった(小名あわせて七十七か村)。