助郷の一本化

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 ところがこの区別も享保十年(一七二五)に廃止され一本化されることになった。その理由は交通量の増加もさることながら、常備人馬が不足勝ちとなってきたためであった。浜松宿では宿民が「商賈之志ニ変じ」て「御定之賃銭ニテ者飼料夫食も不行届」(「浜松宿御役町由来記」『浜松市史史料編一』)、そのため宿馬の保持を厭う者が多かったという。【助郷範囲の拡張】したがって最初指定された助郷村は浜松近辺であったのに、このときになると動員範囲も浜名・万斛・国領・浜辺・川東の各組におよんでいる。
 宝暦四年(一七五四)には、浜松宿の有馬の減少いちじるしく三十五疋となったので、雇馬三十疋を助郷村から出して補っている。これは一時的の現象であろうが、その期間助郷村の馬の動員は恒常化したとみてよいだろう。
 
(表)元禄15年定助郷村名表
定助郷村助郷高役馬
町組  
伊場村HB88822
東若林村HB2807
浅田村HB51713
明神野村HB2416
富塚村52113
万斛組野口村3489
助信村1734
新津村1173
嶋之郷村42911
高林村2466
浜辺組向宿村2596
上中嶋村HB1935
馬領家村HB1754
瓜内村HB2286
国領組植松村2777
佐藤村2065
定助郷16か村
5098127

(表)文政4年助郷組別表
符号助郷高
  
浜名組572
万斛組6140
国領組5141
HB浜辺組8180
KA川東組731

(表)元禄15年大助郷村名表(「糀屋記録」『浜松市史史料編一』)
大助郷村助郷高大助郷村助郷高
  
東鴨江村51宮竹村148
西若林村588原嶋村299
田尻村97天王村1167
法枝村69天王村418
入野村1697下堀村346
新橋村128天新田村43
堤村24中田村360
白羽村400小池村744
中田嶋村221有玉村1376
福塚村1202石4斗3升減
寺脇村453有玉下村360
三嶋村280畑屋村348
楊子村62町田村222
本郷惣名1519上瀬村343
(3石減)有新村8.57
本郷村421松木嶋村92
頭陀寺村38上嶋村331
参野村220早出村366
弥十村211上之郷惣名424
恩地村263上之郷村219
安松村205西在所村205
石原村168丸塚村313
福増村42上新屋村223
上飯田村505茄子村28
西之郷村181西塚村79
渡瀬村170永田村537
名切村38笹ヶ瀬村399
塚越村68古川村62
蒲下村146江川村28
青屋村140四本松村140
長鶴村89大柳村501
橋羽村169大瀬惣名1086
薬師村158下大瀬村858
薬師村112上大瀬村228
同新田46大助郷44か村15,666