助郷村の困窮

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 【休役 代助郷】助郷村が困窮するようなことがあると、これが休役となりその分のかわりを勤めるのが代助郷である。文久元年(一八六一)に浜松宿助郷村のうち四十九か村が困窮し、そのかわりとして代助郷が定められている。当時の浜松宿の定助郷は六十か村(小名分をあわせ七十七か村)であったから、そのうちの四十九か村といえば助郷村の大部分が困窮にあえいでいたことになる。
 その中でとくに困窮度の高いのは入野・寺脇・福塚・中田嶋・植松・西塚・原嶋・薬師・橋羽・長鶴・永田・蒲下・宮竹・名切・塚越・渡瀬・西之郷・福枡・上飯田・本郷・篠ケ瀬というような東海道筋に近い村々であった。このときこれらの四十九か村は文久元年から向こう十五年間休役となり、この分を代助郷の村々がかわって勤めたのであった。【範囲】その範囲は遠州北部の山間部から三州八名郡・宝飯郡・設楽郡の広域におよび、村数は百四か村で、遠い所は浜松宿から四〇キロも離れている。おそらくそれにみあう金を納めたのであろう。
 
(表)文久元年浜松宿代助郷
代助郷村
豊田波ヶ嶋村ほか26か村
引佐下刑部村・中刑部村・上刑部村・渋河村・別所村・田沢村・伊平村・川名村・滝沢村・鷲沢村・三嶽村・黒渕村・白岩村・栃窪村・田畑村・狩宿村・谷沢村・黒田村・的場村・金指村・瀬戸村・石岡村・井伊谷村・神宮寺村・横尾村・奥山村・小野村・広岡村・大谷村
敷智都筑村・佐浜村・和地村・西大山村・東大山村・佐久米村・大崎村・津々崎村・野地村・只木村・摩訶耶村・伊佐地村・大人見村
長上松嶋村・下前嶋村・富屋舗村・西村・油一色村・北嶋村・打上村
三州八名吉川村ほか15か村
三州宝飯江村ほか1か村
三州設楽石田村ほか9か村
104か村