増助郷村の困窮と代助郷

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 代助郷は増助郷に差支えが出来た場合にも課せられた。浜松宿では「浜松宿増助郷羽鳥村外八ケ村水難に付、吟味之上、休役並代助郷共割合を以て左之通申付候」とあるように、羽鳥村・恒武村・松小池村・笠井村など天竜川沿いの増助郷九か村が水害のため休役となり、そのかわりを堀之内村・海老嶋村などの七か村が嘉永四年(一八五一)から文久三年までの十三年間代助郷を勤めている。このときは浜松宿に比較的近い距離の村々が指定されているので「宿方より相触次第人馬無滞可差出者也」とあるように、実際に人馬を出したものであろう。